元消費者金融幹部Nさんの告白(その①青春篇)
≪元消費者金融幹部Nさんの告白(その①青春篇)≫
改正貸金業法が成立してから平成28年12月13日で10年が経過しました。
この間、消費者金融業界は、大手のほとんどがメガバンクの参加に入り、中小業者の多くは、
「上限金利の引き下げ」、「総量規制」、「過払い金返還問題」などの逆風に耐え切れず、淘汰されてゆきました。
その結果、平成18年度末で11,832社もあった業者数は、平成27年度末では1,926社と6分の1以下に減少しました。
いったい、ここまで業界を締め付ける「改正貸金業法」とは何だったのでしょうか。
ある消費者金融会社の幹部だったNさん(仮称)の告白というスタイルで、そのことを紐解いていきたいと思います。
Nさんが、この業界に入ったのは今から30年以上も前のことです。
高校を卒業して、職を転々としていたころ、知り合いの紹介で、ある消費者金融に入社したそうです。
その当時、消費者金融は「サラ金」と呼ばれ、高金利と過度な取り立て行為で恐れられていました。働いている従業員も強面が多く、派手なスーツにパンチパーマ、髭は当たり前です。
サラ金の男性社員は、「取り立て」が重要な任務です。この「取り立て」に躊躇するようでは、サラ金の社員は務まりません。
Nさんも入社初日から、取り立ての現場に出ています。
Nさんも20代前半と若かったこともあり、キラキラのスーツに身をつつんで、取り立てにいく自分がどこか誇らしかったようです。
誰も回収できなかった債権を回収した話や、チンピラのような相手との交渉で上手く立ち回った話など、かつての武勇伝を語るNさんは、少年のように無邪気です。
当時の上限金利は、年率で109.5%、業界を規制する法律もなく、返済を怠った客への対応は、かなり酷かったようです。直接的な暴力こそはなかったものの、例えば、
など、今では考えられないような方法で、取り立てを行うことがあったようです。
また、そのような行為に対して、Nさんはあまり後ろめたさも感じなかったようです。
「やっぱり、借りたものを返さない方が悪いんじゃないのか」
Nさんの理屈は単純明快です。
「それによ、客の方だってあんたがたが思ってる以上にしたたかだったよ」
取り立てに行って、客に身の上話を聞かされて同情してしまって、逆に、ポケットマネーを置いてきてしまった話など、そんなしたたかな客にしてやられた話も数多くあるようです。
Nさんの話からは、当時は、良くも悪くも、牧歌的というか大らかな時代だったことが伺えられます。
「だけど、誤解してほしくないのは、今みたいに、会ったこともないような相手にやたらと貸していたわけじゃないぜ。お金を貸すときは、むやみに借金を増やさないよう、きっちり言い聞かせてから貸したぁもんだよ。それでも増やしちまって、返済が遅れるような時は、そりゃあ怒るよ。でも、それで立ち直る客も多かったし、感謝されることも多かったんだよ。」
「そりゃ確かに、追い込みすぎちまった客もいるかもしれないけどね。」
確かにNさんの言うことにも一理あるような気もします。しかし、借金苦で自殺者が出たり、「サラ金問題」がこの時期、社会問題化していたことも事実です。
そのような中、昭和58年に業界に激震が走ります。
※最近、安易に「審査が甘い」などの文言を用いて、消費者金融などを紹介するサイトが増えてきていますが、信憑性の低いものも多く鵜呑みにするのは危険です。
当サイトでは金融業界に詳しい専門スタッフがその経験を踏まえて記事を提供しているので、信頼できる内容になっていると自負しています。
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改正貸金業法が成立してから平成28年12月13日で10年が経過しました。
この間、消費者金融業界は、大手のほとんどがメガバンクの参加に入り、中小業者の多くは、
「上限金利の引き下げ」、「総量規制」、「過払い金返還問題」などの逆風に耐え切れず、淘汰されてゆきました。
その結果、平成18年度末で11,832社もあった業者数は、平成27年度末では1,926社と6分の1以下に減少しました。
いったい、ここまで業界を締め付ける「改正貸金業法」とは何だったのでしょうか。
ある消費者金融会社の幹部だったNさん(仮称)の告白というスタイルで、そのことを紐解いていきたいと思います。
僕たちの先輩の貴重な証言だよ。
こんな時代もあったんだね。
こんな時代もあったんだね。
【青春篇】
Nさんが、この業界に入ったのは今から30年以上も前のことです。
高校を卒業して、職を転々としていたころ、知り合いの紹介で、ある消費者金融に入社したそうです。
その当時、消費者金融は「サラ金」と呼ばれ、高金利と過度な取り立て行為で恐れられていました。働いている従業員も強面が多く、派手なスーツにパンチパーマ、髭は当たり前です。
サラ金の男性社員は、「取り立て」が重要な任務です。この「取り立て」に躊躇するようでは、サラ金の社員は務まりません。
Nさんも入社初日から、取り立ての現場に出ています。
Nさんも20代前半と若かったこともあり、キラキラのスーツに身をつつんで、取り立てにいく自分がどこか誇らしかったようです。
誰も回収できなかった債権を回収した話や、チンピラのような相手との交渉で上手く立ち回った話など、かつての武勇伝を語るNさんは、少年のように無邪気です。
当時の上限金利は、年率で109.5%、業界を規制する法律もなく、返済を怠った客への対応は、かなり酷かったようです。直接的な暴力こそはなかったものの、例えば、
- 玄関に「金返せ!」と張り紙をする。
- 大声で恫喝する。
- 知人宅を訪ねさせて金策について回る。
など、今では考えられないような方法で、取り立てを行うことがあったようです。
また、そのような行為に対して、Nさんはあまり後ろめたさも感じなかったようです。
「やっぱり、借りたものを返さない方が悪いんじゃないのか」
Nさんの理屈は単純明快です。
「それによ、客の方だってあんたがたが思ってる以上にしたたかだったよ」
取り立てに行って、客に身の上話を聞かされて同情してしまって、逆に、ポケットマネーを置いてきてしまった話など、そんなしたたかな客にしてやられた話も数多くあるようです。
Nさんの話からは、当時は、良くも悪くも、牧歌的というか大らかな時代だったことが伺えられます。
「だけど、誤解してほしくないのは、今みたいに、会ったこともないような相手にやたらと貸していたわけじゃないぜ。お金を貸すときは、むやみに借金を増やさないよう、きっちり言い聞かせてから貸したぁもんだよ。それでも増やしちまって、返済が遅れるような時は、そりゃあ怒るよ。でも、それで立ち直る客も多かったし、感謝されることも多かったんだよ。」
「そりゃ確かに、追い込みすぎちまった客もいるかもしれないけどね。」
確かにNさんの言うことにも一理あるような気もします。しかし、借金苦で自殺者が出たり、「サラ金問題」がこの時期、社会問題化していたことも事実です。
そのような中、昭和58年に業界に激震が走ります。
※最近、安易に「審査が甘い」などの文言を用いて、消費者金融などを紹介するサイトが増えてきていますが、信憑性の低いものも多く鵜呑みにするのは危険です。
当サイトでは金融業界に詳しい専門スタッフがその経験を踏まえて記事を提供しているので、信頼できる内容になっていると自負しています。
安心・安全なキャッシングに是非役立てて下さい。
※安心・安全な審査が通る中堅消費者金融はこちらから探せます。



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